ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

心理職に関する閑話

イライラしている人の心の中にあるもの・接し方について

みなさま、いつもありがとうございます。

最近、ちょっとイライラしているっぽい私。

あまり気にならなかったことが、若干 “引っ掛かり” を感じるようになり
それがだんだん大きくなって、ボーっとしているときにもチラチラそれが思い浮かび
「さて、どうしたものか」と・・・


そんなとき、セラピストである『おのころ心平』さんのブログを拝見し
『イライラしている人の接し方』について書かれてあったので
(おっ! とってもタイムリー♪)
自身の中に取り入れつつ、今回、その内容を少し “拝借” させていただこうと思います。

みなさまも、きっと「なるほど!」と思われるのではないでしょうか。


====================

〔イライラしやすい人の潜在的欲求〕
・人より優位に立ちたい
・損をしたくない
・運気を下げたくないという観念に縛られぎみ
・(自分のしていること、空間など)邪魔をされたくない など
   ↓↓
  つまり、相手や状況が自分にとってスムーズにいかないことが許せない
  自分を粗末に扱うような状況が許せないという意味では、自意識過剰


〔なぜ、イライラしやすいのか〕
かって(子供のころとか)身の回りに『イライラしている人』がいるなどして
イライラの感情の中でどっぷりつかって育った可能性が高く
「早くしなければならない、負けてはならない」
という観念に長い間浸かってしまっていて、その感度が高くなってしまっている
   ↓↓
  勝つことへの執着ということよりは「遅れをとる」ということに非常に敏感
  (人より何か “遅かった” ことに対してのトラウマ(みたいなもの)が残っている(?))


〔では、どのように接すればいいか〕
あまり深入りせず、適度な距離でお付き合いするのがベター
それでも、お付き合いしなければいけない場合・・・
 ・あいさつなどして積極的に声をかける
 ・相手が少し大変そうなときや(もちろん顔にイライラが表われている)
  周囲が敬遠している時にこそ「あ、やることありますか?」と進んで手伝ったりする
 ・相手の顔色に関係なく、世間話などふってとにかく話しかける

〔と、いうのは〕
イライラの感度だけでなく、(自身に対する)特別扱いや丁寧な物言いに対しても感度が高いため
   ↓↓ 
  「自分が尊重されている」と感じることで、非常に素直になる
  実はとても人情派で、人のやさしさに対してもとても敏感
  (一度上手な関係性を築けられたら、ものすごくやさしく親切になる)

“自粛警察” する人の心にあるもの(3/3)

みなさま、いつもありがとうございます。

前回、 自粛警察してしまう人の(『他人をたたく』も同様)
心のうちにあるものを私なりに書いてみましたが
本日は、脳科学の視点でその理由について書きたいと思います。


なぜ、“自粛警察” してしまうのか・・・
なぜ、他人をたたいてしまうのか・・・
なぜ、他人のうわさ話やちょっとした悪口を言ってしまうのか・・・

このとき、脳内では『ドーパミン』という物質が分泌。

このドーパミンというのは
運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わる神経伝達物質で
「気持ちが良い」「心地良い」と感じると出ると言われています。

つまり、それらをすることによって、脳が「気持ちいい」「心地よい」と感じてしまう わけです。
(やる気のもと『アドレナリン』は、この『ドーパミン』から作られる)

よって、(「人の悪口を言うのをやめたい」と考えている人がいたとしても)
なかなかやめられず、ある意味中毒性が高いというのが現状のようです。


ちなみに、このドーパミン・・・

何も他人をたたいたり、悪口を言うことなく出す方法が当然あるわけですが
(あたりまえですよね)
その方法を端的に書くと

・何かするときに、自分自身に報酬(ごほうび)を用意する
・音楽を聴きながら作業を行う
・普段からドーパミン生成に必要な栄養素(タンパク質)を摂取する
・瞑想を行う/呼吸を整える


など。

それほど難しいことをしなくても、ドーパミンは出てくれそうですね(笑)


さて、この自粛警察を呼び起こした今回の “有事” も
『39道府県の休業要請緩和(うち21県は全面解除)』が発表された等
終焉の方向に向かっているようです。

今回の有事によって経験したこと、感じた思いや教訓を胸に
皆様がステキな日常生活を過ごさせることを、心より願っております。


 (『 “自粛警察” する人の心にあるもの』過去掲載分)
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/826
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/827

“自粛警察” する人の心にあるもの(2/3)

みなさま、いつもありがとうございます。

今回の “有事” によって、新たに出現した “自粛警察” なる人(言葉)。

単なる『ストレスのはけ口』にしては悪質ですし
何かしら心に秘めているものがあるからこそ、そのような行為に走ってしまうのだと思います。

では、この自粛警察する(このほか、他人をたたく など)理由とは
いったい何なんでしょうか?
また、自粛警察してしまう人の心にあるものとは、何でしょうか?


先に結論から入ってしまいますが、一言でいうと『他社基準』『自分がない』

もう少し突っ込んで書くとするなら
『自分の行動を正当化できていない、受け入れられていない』
ということになると思います。


例えば、今回の “有事” の場合

 政府から「自粛してください」と連絡があった。
     ↓↓
 何か釈然としない(受け入れない)まま、しぶしぶ自粛をする。
     ↓↓
 自粛のあいだ、どんどんストレスがたまる・・・
 (『自粛』を『我慢すること』としか捉えられない “視野の狭さ” も一因としてあるかも)

     ↓↓    
 自粛していない(ように見える)人たちを “敵視”


そのような流れがあるのではないでしょうか。

つまり、ある程度納得できていれば、他人の行動はそれほど気にならないと思うのですが
自分の〔言動・行動〕に釈然としていない〔正当化できていない/自信がない〕ので
自粛していない人たちを見ることによって(もしくは、自粛していないと捉えることによって)
自分の〔言動・行動〕が否定されような気持ちがはたらいてしまう のだと思います。
(場合によっては、何か脅かされたような感覚を持つことも・・・)

そして、その〔否定された/脅かされた〕気持ちを “防衛” するためには
“自粛警察” という手段をとることによって “攻撃” するしか手立てがない のだと思います。
(同様に、他人をたたくのも、自分自身の〔言動・行動〕を正当化できていないからこそ)


ただ、もう一方で、この他人をたたく行為・・・

(心理的側面ではなく)脳科学の視点から見ても、ちゃんとした理由があるようです。

 ・・・“自粛警察” や他人をたたくことというところまでいかないまでも
    日ごろの生活において、人のうわさ話やちょっとした悪口を仲間内で話すのは
    ちょっとおもしろかったり、ストレス解消にもなりますよね。
    (なぜ、そのように感じるのか)


次回、書いていきたいと思います。


 (『 “自粛警察” する人の心にあるもの』過去掲載分)
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/826 

 

“自粛警察” する人の心にあるもの(1/3)

みなさま、いつもありがとうございます。

いまなお世界中を襲い続けている “有事”

さて、日本国内はというと・・・

個人的感覚ではありますが、なんとなく収束の方向に向かっている気がしております。
(おそらく今週末には、34県の自粛要請が解除されるのでは)


「いつになったら自粛要請が解除されるのだろう」と
国民一同がやきもきしていた日々を送ってきたわけですが、そんな中
要請を無視した店舗に対し、いやがらせまがいの行為をしたり、
抗議の貼り紙をしたり、ネットなどに実名をあげてつるしたりする
“自粛警察” なる人(言葉)も出現しました。

要請を無視したことに対し、多少怒りなり、違和感など持つことはあるにしろ
「そこまでしてしまう」のには、やはり、それなりの理由があるように思えます。

 ・・・“自粛警察” に限らず、人のやることなすことすべてが気に入らなかったり
    他人のちょっとした “過ち” をすぐたたく人って、いますよね。
    たとえそれが故意でなくても。また、自分に被害がなかったとしても。
    (例えば、芸能人の浮気など。「そこまでして叩きたいのか」と思うことも・・・)


では、その理由とは何でしょうか?
そのような人たちの心の内側にあるものとは・・・?


次回、詳しく書いていきたいと思います。

3種類の幸せ(3/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

一昨日よりお送りしているテーマ(※)
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが思い浮かべる3種類の『幸せ』とは・・・
(引用:『JAF MATE(2020年4月号)』内のエッセイ『幸せってなんだろう』)

きょうが最後です。


③ 危機回避後の『安堵型』幸せ

迫る危機を辛くも回避できたときに感じる、①で紹介した『零れ幸い』の逆パターン。

落ちてきそうな不幸の種を上手にかわし、事なきを得たときの状況を言う。

家賃支払いの期日より2日前、たまたまATMに寄って貯金残高を確かめてみると
ほぼ底をついている・・・

まずい。家賃が落ちない。どうしよう。。。と
一晩気をもんで明くる朝に再度愛称番号を打ち込むと、忘れていたバイト代が振り込まれている。

ホッとして吸う空気までおいしく、「ああ、よかった」と。

安堵型の幸せは日本人の長い歴史の中で重要なものとされてきた。

一例は、幕末に福井城下で妻と子と3人でつつましく暮らしていた歌人
橘曙覧(たちばなあけみ)の一首

 たのしみは あき米櫃に米いでき 今一月は よしといふとき (『独楽吟』より)

残高が0(ゼロ)のATM状態から見直して「よし」
「1ヶ月は何とか安泰だぞ」という喜びの表情に満ちた歌である。

憂いは喜びに転じ、しかしまた憂いに戻ってしまうかもしれないという
メビウスの輪にも似た日本人特有の『苦楽感』が表れており
数多くの文学作品にもこの安堵型の幸せが登場する。

 「得体の知れない不吉な塊」に心を圧(おさ)えつけられた私であったが
 果物屋でレモンを握った瞬に不安が弛み、歩きながら「私は街の上で非常に幸福であった」

 (梶井基次郎『檸檬』より)

日本人の幸せは往々にして巡りくるもので
影の深いところから明るい方へと向かっていくのである。


 (※)『3種類の幸せ ~幸せとは、輪のように巡りくるもの~ 』過去掲載分
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/793
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/794

3種類の幸せ(2/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

昨日よりお送りしているテーマ(※)
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが思い浮かべる3種類の『幸せ』とは・・・
(参照:『JAF MATE(2020年4月号)』内のエッセイ『幸せってなんだろう』)

きょうが2つめです。


② 目標達成型の幸せ

人生の途中で設定し、努力を積み重ねた結果
その成果が実り、報いられたという『満足感』

例えば

・つらい受験勉強の末、第一志望の学校に合格したこと
・長い月日を経て、望んだ相手との結婚が叶ったこと
・事業が軌道に乗ってようやく自社ビルを建てられたこと

など、どちらかといえば長い時間を要する人生のターニングポイントにおきた成果の表れ。

“投資回収型の幸せ” という言い方も。


 (※)『3種類の幸せ ~幸せとは、輪のように巡りくるもの~ 』過去掲載分
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/793

3種類の幸せ(1/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

JAF会員に月1回届けられる会報誌『JAF MATE』のコンテンツの中に
『幸せってなんだろう』というエッセイがあり、各界の著名な方が文筆されているわけですが
今回(2020年4月号)文筆された日本文学研究者のロバート・キャンベルさんの内容に
とても共感を覚えたのでそれを紹介したいと思います。

キャンベルさんいわく、『幸せ』について3種類思い浮かべるとのこと。


① 零れ幸い(棚からぼたもち)型の幸せ

予期しないし、与えられるのに十分な努力をしているとは言い切れないが故
それがかえって一瞬のうれしさを倍増させてくれる、いわゆる『棚からぼたもち』型の幸せ。

とはいえ、高いところから甘い固形物がズドンと落ちるというものではなく
“幸せの液粒” がぽたぽたと『零(こぼ)れる』ような幸せ。。。

英語で『零れる( = spill overflow )』といえば
コーヒーや涙など、本来零れてほしくないものが目に浮かび、あまりうれしくないのだが
日本語の『零れる笑み』や『零れ桜』などと聞くと、むしろ一瞬の柔らかな心地よい風情が頭をよぎる。

安い居酒屋に入ったとする。
何気なく注文した酒の肴が意外に美味しいことに気づき、ハッとする・・・

まさに『零れ幸い』


(残りの2つは、あす、あさって書いていきます)

心理職の考える最大の『癒し』とは(2/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のプレスリリースにて、『癒される』とは『欲求が満たされる』ことであるとしました。
そして、“ほんとうの” 癒しを得るためには、対人関係の見直しがカギになるということを述べました。
(前回URL:http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/734 )

きょうは少しその部分に踏み込んで書きたいと思います。


人間に様々な欲求があるわけですが
その中でも見逃せないのは、人には『承認欲求』という欲求が存在すること。
簡単にいうと「他者から認められたい、尊敬されたい」と願う気持ちのことです。

この気持ちは、何も大人になって働くようになってから抱くものではありません。

小さな子どもならきっと両親から認めてもらおうとするでしょうし
学校に行くようになればクラスの仲間から認められようと一生懸命になるはずです。


インターネット・スマホなどの普及、あらゆるものの自動化により
世の中が便利になりすぎて、いわば “ひとりで” 何不自由なく生きていける時代。

一方、人間関係が希薄になりすぎて
本来生活の中で簡単に得られた『承認欲求』が得られなくなったというのも事実。


よって、心理職としての私が考える最大の『癒し』とは
『承認欲求』が満たされること にあるのだと思います。

もう少し詳しく書くならば

・心のモヤモヤ・不安・グチを否定せず、丁寧に聴いてもらったこと
・苦しみ・悲しみ・つらさなどが(ひいては、うれしさや痛みといったものも含めて)
 人に分かってもらえたこと
・それによって、自分のすべてを受け入れてもらえたと実感できたこと


といったところでしょうか。

(「最大の(癒し)」というと少しオーバーかもしれませんが、「(癒しの)根源(となるもの)」というと、なんとなく納得していただけるのではないかと思います)


身体が疲れたり凝ったりしたとき
マッサージやリフレなどをしてもらうと、当然「癒された」と感じるわけですが
その根源となっているのは、(マッサージやリフレという)手段だけではなく
施術していただいた方との会話だったり、「 “その人” にやってもらったから」という部分は
実は結構大きいのではないでしょうか。


そう。大切なのは、自分と、自分の身の回りの人たちが持っているであろう
お互いの『承認欲求』を満たすような人間関係を築くことにあると思います。

 心理学の世界では
 『「I am OK.」「You are OK.」の関係』と言ったり
 『ラポール関係』などと言ったりします。


そのため、「癒されたい」と思って一方的に『癒し』を求めるとなると
どうしても他人に期待しすぎてしまう傾向になりますので
(結果、自分の思い通りにならないと人のせいにしてしまう)
自分の周りの人の存在を “認める” ところから始めていただきたいと思います。

心理職の考える最大の『癒し』とは(1/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

多くの人々が「癒されたい」と感じています。
(当然、私自身もそう思うときがあります)

『癒し』をテーマにした商品は山のようにありますし
『癒し』に関する職業も数多く存在します。
(ex 整体・マッサージ・リフレ、カフェ、動植物関連、各種セラピー etc… )


そもそも『癒し』とは何なのでしょうか?

医学的には
「脳の視床下部からオキシトシンという物質が分泌されるため」とか
「メラトニンという物質が分泌されて副交感神経優位に働くため」などありますが
少し難しい話になってしまうので
「癒された」と感じるときの構図を簡単に書いてみると・・・

〔手段(癒しを導くもの)〕     〔背景(癒しを求めるもと)
美味しいもの・甘いものを食べる  ( ← さみしい、物足りなさ・虚無感)
好きな友達と会って会話する    ( ← さみしい、グチなど聞いてほしい)
大声を出す、コンサートに行く   ( ← たまったものを発散させたい)
ほぐしてもらう          ( ← 体の疲れ・だるさ・コリを治したい)
アロマ、音楽を聴く、お風呂に入る ( ← リラックスしたい)
深呼吸をする           ( ← リラックスしたい、緊張や不安を取り除きたい)
動物・子どもに触れる       ( ← 優しい気持ちを取り戻したい)
旅行に行く、緑の中を散歩する   ( ← 現実から少し距離を置きたい、気持ちを整理したい)

など。


こんな単純なものではないにしろ、このように考えた場合

「癒される」=「欲求が満たされる」

と言えなくもない・・・

なので、「癒されたい」と思って下手に『癒し』を求めるよりは
自分に何が足りていないのか、何がどうなっているといいのかをちゃんと把握し
それを満たしていくに越したことはないかのもしれません。


また、私の人生経験上、上の例にあげた癒しの手段の多くは
“表面上の癒し” というか、一時性のもので持続性がないような気がします。
(誤解のないように少し言い方を変えると、持続して行わないと意味がないというか)

例えるなら、熱いシャワーを浴びることで身体が温まった気分になるような・・・
(そのときは温かいけれど、すぐに冷えて元の状態に戻ってしまう)

それはそれでいいのかもしれないけど、本来であれば
半身浴のような、“身体の芯から温まる” ようなものでないといけないと思うのです。
(最初はなかなか温かいと感じない。けれど、一旦温かさを感じるとそれが持続する)


なぜ私がそう思うのか?

それは、心理学者アルフレッド・アドラーが
「すべての悩みは対人関係の悩みである」と定義づけたように
人が ”ほんとうに” 癒されるためには、周りの人との関係性を見直すことに
大きなヒントが隠されていると考えているからです。


詳しくはまた次回書きます。

アドラーの目的論②:「大声を出すために怒る」とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のテーマ( http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/720 )に引き続き
心理学者アドラーの推奨した『目的論』について
(『原因論』との違いについて)
ひとつ、例を挙げて紹介したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レストランで、客の男性がウェイターにコーヒーをこぼされ、一張羅の背広を汚された
男性は反射的に大声を出し、店中に響き渡るようにウェイターを怒鳴りつけた


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この場合、一般的には
「コーヒーをこぼされて怒りを感じたから大声をだした」
(大声を出した『原因』は、コーヒーをこぼされ怒りを感じたから)
と考えがちなのですが

アドラー心理学では
「大声を出すために怒った」
(大声を出したのには、他ならぬ『目的』があるため)
と考えます。


上の例でいうと

「ウェイターに謝らせたい」
「自分が客(上の立場)であることを誇示したい」
「クリーニング代を支払わせたい」

といった『目的』があるから大声を出した。ということになります。


もちろん、この例だと
『コーヒーをこぼされたこと』と『大声を出したこと』との間に
ほとんどタイムラグがないので
コーヒーをこぼされたことによる怒りが大声を出した原因と考えがちですが
もし仮に、美人のウェイトレスにコーヒーをこぼされたとしたら
男性はどんな対応をとっていたでしょうか?

瞬時に自分の取るべき行動を判断して
「あ、大丈夫です。気にしなくていいですよ」
と笑顔で答えていたかもしれませんよね。

(この場合、ウェイトレスに「寛大な人間であるというところを見せたい」という『目的』がある)


そのほかにも
「過去自分にこんなつらいことがあった」というのは
「相手の同情を引く」という目的を叶えるための手段のひとつと考えることもできますし
「不安なので○○できない」というのは
「○○したくないので不安を創り出している」というように考えることができます。


もちろん、当の本人にとってみれば
(問題や悩みを抱えて)大変苦しい思いをしているわけですが

「起きた出来事に対してどう捉えるかは自分次第」
「いまの自分は、自分が選んで創り出している」


という感覚(自覚)が少しでも持てるようになれば
きのう、きょうと紹介したアドラーの『目的論』を応用することによって
さまざまな悩み・問題を解決できる可能性があるかもしれません。

(とはいえ、それを習得するにはかなり修業が必要ですけどね)