ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

2020年03月

追悼:志村けんさん

みなさま、いつもありがとうございます。

人が笑うことや自然に触れることによって増える免疫細胞『NK細胞』
( NK = Natural Killer(ナチュラル・キラー))

その細胞は、人が体内ではたらかせている免疫システムの中でも特に重要な役割を示し
病原菌やウイルス感染、さらには、細胞の悪性化などで体内に異常な細胞が発生すると
いち早く(『免疫チーム』の中から先行して)攻撃を仕掛け、死滅させてくれるという・・・

昼も夜も、起きている間も寝ている間もくまなく働き
1日3000~5000個も発生すると言われているがん細胞を
一つひとつやっつけてくれるのも、この『NK細胞』のおかげ。

その『NK細胞』を増やすために、必要な『笑い』

どれほどまでに日本人の免疫力向上に貢献していただいただろうか・・・

『日本の宝』志村けんさん、安らかに。

いまこそ生活に『祈り』を〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

得体のしれないものに対する不安
目に見えない不安
いままで体験したことのない不安
生活や命が脅かされる不安
先の見えない不安 etc…

数多くの不安を抱えた状況において、また
自分たちの力ではどうすることもできないような状況において
私たち人類が昔からしてきたことがあります。

それは『祈ること』

歴史を紐解くと、テレビやネットはおろか
電気・ガス・水道… はたまた、通貨や貨幣すらない時代から
(それこそ1000年、2000年以上前から)
人々は生活の中で『祈り』をささげてきました。

『祈り』とは、自分の内なる部分や(神様・仏様といった)“心のよりどころ” に
家族や大切な人、社会や世の中の平穏無事を願うだけでなく
自身の心と体の安寧をはかるためにおこなった行為のひとつです。
(つい100年位前まで、いつ争いごとにまきこまれるか、いつ天候不順で食べるものがなくなって餓死するか、常に『生命の危機』を抱えて過ごしてきた)

争いごとや飢え死にすることもなくなり、生活が圧倒的に便利・快適になった現代において
仕事や人間関係といった日常のストレスは、レジャーや “キラキラしたもの” など
いわば『外部刺激』によって発散・解消していればよかったわけですが
自然災害や今回の新型コロナウイルスの感染拡大等、日常生活さえままならない事態になると
『外部刺激』に頼ることはまったくといっていいほどできなくなってしまい
結局のところ、自分の内なる部分を見つめなおしたり、“心のよりどころ” にお祈りするほかないように思えるのです。
(現実逃避すらできないような現実をちゃんと受け入れ、しっかり腹に落とし込める必要があるというか・・・)

そのため、できるだけ多くの方々が『祈ること』の大切さに気付くことを願うとともに
今回の “有事” がいち早く収束の方向に向かうことを切に祈りたいと思います。

「自分を知る」ための問い〔♯51〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「自分を知る」ための問い〔♯51〕

今までにした大きな〔決断/選択〕は何ですか?


~答えを導き出すヒント~

もうすぐ新年度。新しい生活をスタートさせるという方も多いわけですが
夢や希望・目標に満ち溢れている人がいる一方で
不安や怖さみたいなものが先立っているという方も、数多くいらっしゃるのではないでしょうか。

いずれにしろ、新しい生活が始まるのは
みなさんがそのように〔決断/選択〕したからこそ。
(新入生・新社会人など、人生の中で(否が応でも)そういった時期は来ますよね)

そのため、みなさんが人生の中で、過去
今までにした大きな〔決断/選択〕を一度振り返ってみるのもいいかと思います。

例えば、○○について
 ・なぜ、そのように〔決断/選択〕したのでしょうか?
 ・〔決断/選択〕するときに参考にしたものは何でしたか?
 ・自分がした〔決断/選択〕に点数をつけるとしたら、何点ですか?
 ・その〔決断/選択〕について、反省点・改善点があったとしたら、それはどこですか?
など

質問では “大きな〔決断/選択〕” としましたが
結局のところ、人生は〔決断/選択〕の連続・・・

どの学校(高校・大学・専門学校 etc… )に行き、何を生業とし
誰と結婚するかといった、それこそ人生を左右する大きなことから
朝、何時に起き、何を食べ、どんな服を着るかといった、日常の小さなことまで。

今、みなさんがその瞬間瞬間で決めている〔決断/選択〕も
いつか振り返るときがあった際「決して間違いではなかった・・・」
そう思えるよう、毎日を一つひとつ丁寧に過ごしていく必要がありそうです。

もちろん、文章を書いているこの私自身も。

3種類の幸せ(3/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

一昨日よりお送りしているテーマ(※)
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが思い浮かべる3種類の『幸せ』とは・・・
(引用:『JAF MATE(2020年4月号)』内のエッセイ『幸せってなんだろう』)

きょうが最後です。


③ 危機回避後の『安堵型』幸せ

迫る危機を辛くも回避できたときに感じる、①で紹介した『零れ幸い』の逆パターン。

落ちてきそうな不幸の種を上手にかわし、事なきを得たときの状況を言う。

家賃支払いの期日より2日前、たまたまATMに寄って貯金残高を確かめてみると
ほぼ底をついている・・・

まずい。家賃が落ちない。どうしよう。。。と
一晩気をもんで明くる朝に再度愛称番号を打ち込むと、忘れていたバイト代が振り込まれている。

ホッとして吸う空気までおいしく、「ああ、よかった」と。

安堵型の幸せは日本人の長い歴史の中で重要なものとされてきた。

一例は、幕末に福井城下で妻と子と3人でつつましく暮らしていた歌人
橘曙覧(たちばなあけみ)の一首

 たのしみは あき米櫃に米いでき 今一月は よしといふとき (『独楽吟』より)

残高が0(ゼロ)のATM状態から見直して「よし」
「1ヶ月は何とか安泰だぞ」という喜びの表情に満ちた歌である。

憂いは喜びに転じ、しかしまた憂いに戻ってしまうかもしれないという
メビウスの輪にも似た日本人特有の『苦楽感』が表れており
数多くの文学作品にもこの安堵型の幸せが登場する。

 「得体の知れない不吉な塊」に心を圧(おさ)えつけられた私であったが
 果物屋でレモンを握った瞬に不安が弛み、歩きながら「私は街の上で非常に幸福であった」

 (梶井基次郎『檸檬』より)

日本人の幸せは往々にして巡りくるもので
影の深いところから明るい方へと向かっていくのである。


 (※)『3種類の幸せ ~幸せとは、輪のように巡りくるもの~ 』過去掲載分
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/793
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/794

3種類の幸せ(2/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

昨日よりお送りしているテーマ(※)
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが思い浮かべる3種類の『幸せ』とは・・・
(参照:『JAF MATE(2020年4月号)』内のエッセイ『幸せってなんだろう』)

きょうが2つめです。


② 目標達成型の幸せ

人生の途中で設定し、努力を積み重ねた結果
その成果が実り、報いられたという『満足感』

例えば

・つらい受験勉強の末、第一志望の学校に合格したこと
・長い月日を経て、望んだ相手との結婚が叶ったこと
・事業が軌道に乗ってようやく自社ビルを建てられたこと

など、どちらかといえば長い時間を要する人生のターニングポイントにおきた成果の表れ。

“投資回収型の幸せ” という言い方も。


 (※)『3種類の幸せ ~幸せとは、輪のように巡りくるもの~ 』過去掲載分
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/793

3種類の幸せ(1/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

JAF会員に月1回届けられる会報誌『JAF MATE』のコンテンツの中に
『幸せってなんだろう』というエッセイがあり、各界の著名な方が文筆されているわけですが
今回(2020年4月号)文筆された日本文学研究者のロバート・キャンベルさんの内容に
とても共感を覚えたのでそれを紹介したいと思います。

キャンベルさんいわく、『幸せ』について3種類思い浮かべるとのこと。


① 零れ幸い(棚からぼたもち)型の幸せ

予期しないし、与えられるのに十分な努力をしているとは言い切れないが故
それがかえって一瞬のうれしさを倍増させてくれる、いわゆる『棚からぼたもち』型の幸せ。

とはいえ、高いところから甘い固形物がズドンと落ちるというものではなく
“幸せの液粒” がぽたぽたと『零(こぼ)れる』ような幸せ。。。

英語で『零れる( = spill overflow )』といえば
コーヒーや涙など、本来零れてほしくないものが目に浮かび、あまりうれしくないのだが
日本語の『零れる笑み』や『零れ桜』などと聞くと、むしろ一瞬の柔らかな心地よい風情が頭をよぎる。

安い居酒屋に入ったとする。
何気なく注文した酒の肴が意外に美味しいことに気づき、ハッとする・・・

まさに『零れ幸い』


(残りの2つは、あす、あさって書いていきます)

カウンセリングの基本的考え(2/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

前回の続き、クライエントさん自身の気づき・成長の援助をするため
私たちカウンセラーは ある前提条件 をもって皆様に関わり、支援していくわけですが
その前提条件とはどういったものでしょうか。
(前回URL: http://www.heartoffice-aoi.com.index.php/news/archives/790


② 答えはその人自身が持っている

上に述べた前提条件・・・
「どうしたらいいのか分からないからお願いしにきてるのに、どうして?」と思われるかもしれませんし
説明するのも少し難しいのですが、自分なりにわかりやすく書いてみると・・・

セッションにおいて私たちカウンセラーは、当然のことクライエントさんの話される内容について
丁寧に耳を傾けているわけですが、その際、話の内容だけでなく身体の動きにも着目してみるようにしています。

例えば

・目の動き(視線の方向、まばたきの回数、どのくらい目と目が合うか)
・手の動き(頭や顔を掻く、指を机をたたく)
・呼吸(深いため息、憤りに満ちた鼻息、浅い呼吸)
・姿勢(肩が落ち込んでいる、背中が丸まっている、前のめり)
・それ以外のしぐさやその人の持っているであろうクセ、性格傾向

など・・・

端的に言えば、無意識で行われている動作のことです。

これによって、その人の現在の “危機的状況” がある程度把握することができます。
(どのくらいクライエントさんが「今のままではいけない」と感じているか)

また、こういった無意識で行われている動作の他、クライエントさんの中から思わず出た言葉や
噴き出した感情、涙などをカウンセラーが丁寧に拾い上げ、クライエントさんに伝えていくことによって
(その他、クライエントさんのお話をもとにいくつか質問をし、その質問に答えていただくことによって)
少しずつ、クライエントさんの中にある変化が生じてきます。

その変化を例えるなら
「鬱蒼とした森を長い間歩き続けていく中で、遠くの方から一筋の光が差し込む」
ようなものでしょうか。

そしてその一筋の光が徐々に大きくなっていって、それが「出口だ!」と確信した瞬間
クライエントさんは『腑に落ちた』感覚を味わいます。
(その人自身の持っていた “答え” に到達)

自分自身に目を背けず真摯に向き合えば、カウンセリングによって
(方程式のような、はっきりした明確な答えではなくても)
必ずその人自身が “持っていた” 何かしらの答えに到達することができます。

「自分の “ほんとうの” 気持ちに気づく」という言い方のほうがしっくりくるかもしれませんね。

カウンセリングの基本的考え(1/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

起きてしまった出来事や生じてしまった問題や悩みに対し
どう処理したらいいのか分からない(解決できない)からこそ
私たちのようなカウンセラーに問い合わせがあるわけなのですが
すぐにその問題や悩みの除去に向けて取り組むかというと、決してそうとは限りません。
(当然、クライエントさんの意向を尊重します)

ではなぜカウンセリングというものが存在するのでしょうか?

それは、問題や悩みを抱えた方(クライエントさん)に ある前提条件 をもって接することで
問題や悩みの除去・症状の緩和だけでなく、クライエントさん自身の気づき・成長の援助をするという
真の目的 があるからなのです。

ではその前提条件というのはどういったものでしょうか。

自分なりに分かりやすく書いてみることにします。
(その前提条件を『カウンセリングの基本的考え』として、きょうとあす紹介していきます)


① 問題や悩みに『目的』や『意味』がある

問題や悩みがあることによって毎日の生活に何らかの痛みがともなったり
そのことが健康的で自分らしく過ごすためのストッパーになっているとしたのなら
当然、それはとてもつらいことではあるわけなのですが、『クライエントさんご自身の人生に必要があって(問題や悩みが)生じている』という考えを前提にしています。

そう。何かしらの『目的』や『意味』があって問題や悩みが存在している。
(『因果論』ではなく『目的論』)

簡単にいうならば
「今のままこの生活を続けていくと、もっと大変なことになりますよ」
という警告かもしれませんし
「 “ほんとうの自分” に出会える時が来たよ」「新しい自分を見つけるチャンスですよ」という
“神様からのメッセージ” かもしれません。

もちろん、その意味を見い出すのはクライエントさん自身ですし
どのように問題や悩みに立ち向かっていくのかはクライエントさんの意向を尊重していくわけですが
いずれにしろ皆様に誠心誠意向き合い、セッション(カウンセリング)の最後に
歓喜の涙を流していただくくらいの支援をするよう、私自身努めていきたいと考えております。

『催花雨(さいかう)』と『啓蟄(けいちつ)』

みなさま、いつもありがとうございます。

「春に3日の晴れなし」という言葉があるように
心なしか(きょうは晴れていますが)雨の降る日が多くなった気がします。

特にこの時期の雨は、春に咲く花の開花を促す雨ということで
『催花雨(さいかう)』というそうです。
(『菜花雨』と表記することも)

日本語って、きれいですね。

また、二十四節気の『啓蟄(けいちつ)』も過ぎたわけですが
今年ばかりは、もうちょっとだけ寝てしまいましょうか・・・

たまには、寝坊 “も” しないと(笑)

眠れぬ夜に〔♯19〕『仕事をする』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯19〕

『仕事をする(しごとをする)』とは・・・
『創意工夫をすること』である。



〔解釈とヒント〕

「仕事が好きだ」と自信を持って言える人は
果たしてどのくらいいるでしょうか?

おそらく、それほど多くないと思います。

それは、多くの人々にとって『仕事』とは
生きるための手段としておこなっているからです。


そもそも『仕事』という概念は
昔から2つの分類で区別されてきました。

たとえば、古代ギリシャでは、奴隷に課せられていた肉体労働(プラクシス)と
自由市民の制作活動のような精神労働(ポイエーシス)という区別がされており
これを現代に “引き継いだ” のが、ドイツの思想家であるハンナ・アーレント(1906-1975)。 

彼女は、肉体労働をレイバー(労働)、精神労働をワーク(仕事)として使い分けました。

現代では(いや、昔からそうですが)肉体労働が “低く” 位置づけられているわけですが、それは
肉体労働が強制的に課せられる苦しいことの象徴として挙げられるものに対し
精神労働は本人がやりたくて行っていることの象徴・・・

言い換えると

肉体労働は受動的仕事であるのに対し、精神労働は能動的仕事

そう

仕事は、『受動的』と『能動的』の2種類が存在する

ことになります。


もちろん、好きで肉体労働をしている人もいるわけですが
(その逆で、好きでもないのに精神労働をしている人もいるわけですが)
『受動的』『能動的』という視点で考えた場合、両者の決定的違いは

『創意工夫があるか、ないか』

ということになると思います。

仕事に “やらされ感” を感じるのは、創意工夫をしないからであり
逆に “面白み” を感じるのは、創意工夫をしているからだといえます。

これが分かれば、話は簡単 ⁉

仕事を好きになるためには 創意工夫をすることから始める ということになります。

創意工夫と言っても、いきなり仕事の中で見つけるというのは難しいかもしれないので
仕事前の準備段階にて「どうしたら仕事に取り組みやすくなるのか」を
“創意工夫してみる” といいかもしれませんね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)